滑るように動いた指先の下で、円が綴じる。
 彩るスペルと理を示す境界線。
 世界は白い指先の下で完結する。
 かの指先の下で。












 唐突に真夜中に目覚めれば、すでに就寝したものと思っていた同室の人間が起きていた。
 極々弱く絞られた光点に気遣いを見て、自分が起きてしまったことに気付かれないようにヒューズは寝返りをひとつうつ。寝覚めの呼吸の乱れはこれで誤魔化されるだろう。
 同室の彼は尊大で憎たらしい態度を取るくせに、わかる人間が見れば酷く繊細に出来ている。これで素直な性格であったなら、どんな時でも弱々しく与しやすそうに見えるのだろうから、彼はこれでいいのだろう。案外、それならそれで誤解を逆手にとって上手く利用しそうな気もするが。
 彼にしかわからない法則で積み上げられた、一見乱雑に置かれた本の山。何かを書きとっては、納得いかなかったのか、ぐちゃぐちゃとした線で書き潰された紙。インクの臭いに混じって、冷めて殆どわからなくなったコーヒーの匂い。たぶん、何時間も同じ姿勢でいて強張っているだろう背中。寝不足で青白く見える首から顎のライン。
 自分のベッドに横になっているヒューズから見えるのは、そんなものだった。
 あんまり根をつめるな。頑張るな。自分のペースでやれ。
 ……そう言ったところで、彼はこれが自分のペースなのだと言うに決まっている。それなら見えるところで無茶してくれたほうが、まだ周囲の心配が減るというのに、彼は見えないところで無茶をしてくれる。
 心配しているが……今は仕方がないのだろう。
 彼は今、自分の武器を探している。
 否、作り出そうとしている。
 男子としては平均だが、軍の中にあってはどちらかと言えば小柄なほうに入る体格。繰り出す体技は正確で強烈でも、体格が違えば体力も違う。長期戦に入れば目に見えてしまう。銃もこなせるが、人並みより多少うまい程度では人より飛びぬけることはできない。頭の出来は人並みはずれて良かったが、それでは実戦を切り抜けることはできない。
 自分も彼も、いつかは戦場に行かなければならない時が来る。
 何か、人よりも一歩も二歩も超えるものが、戦場では必要なのだ。そして上へと登っていくためにも。
 それを彼は探していた。
 探してついにたどり着いた。








 錬金術というものに。








 希少とされる適正はしっかりと彼の中にあった。ヒューズにはわからない、物質を構築するという何かも彼は理解した。
 あとは自分に何が合うのかを探すだけだったのだが、そこで彼は頓挫した。
 彼は言った。

『人真似ではダメなんだ。私が使うものだからね』

 何が合うのかまだわからないくせに、他人が生み出したものを使うのは嫌だと。自分の力で生み出したものでなければ行使する気はないと。

『生み出したのも私。使うのも私。責任を取るのも私、だからね』

 逃げる口実も断ち切った力は、確かに誰も超えることが出来ないだろう。
 彼はそんな力を望んでいる。
 自分が手伝えるのは、こんな風に、気遣う彼に気付かれないよう眠っているふりをするくらいだ。
 隠されたベールの端を捕まえられないよりも、いくらかマシといったところだけれど。












 カリカリとひそやかに動いていたペンが止まった。
 両腕を上げ、大きく伸びた彼は満足の溜息を漏らす。
 次いで、くるりとこちらに向けられた椅子に、気遣いも空しく、彼に気付かれていたことにやっと気付いた。
 余計な気遣いだと怒っているかと思いきや、彼が浮かべているのは疲れた表情の中にも満足の笑み。

「……うまく、できたのか?」

「誰にものを言っているんだ?」

 寝起きではないが、長時間声を出していなかった互いの声は掠れていた。

「見ろ。これだ」

 ひらりと目の前に広げられた紙には、2重の円と理解不能な図形。なんの意味が込められているのかわからない、蜥蜴の絵。

「この線が世界の力場の支柱とヒエラルキーを同時に示している。そしてこの火蜥蜴が重要なんだ。これにこの錬成陣の核の部分がほぼ込められていると言ってもいい」

 解説されても何が何やらさっぱりわからない。珍しく夢中になって説明してくれていた彼は、その説明の終盤になって、やっと相手が少しも理解できていないことに気付いたらしい。

「やってみせるから、よく見ていろ」

 覗きこんでいると危ないから、顔を後ろに下げておけと言われた通り、体ごと少し後ろにいざる。
 描かかれた円に沿って動く指先。書き込まれた図形を丁寧になぞり、いとおしそうに火蜥蜴に触れ、錬金術を発動させるための合図。
 小さな世界が起動する。
 どくりと、紙に描かれた蜥蜴が命を持ったように見えた。












 暁更の、まだ姿を見せない太陽の光より、それは瞬時に強く燃え上がり、瞬時に消えた。
 無意識に詰めてしまった息を吐き出すには、ひどく力がいった。
 彼はこの腕を持って中枢に乗り込む気だろう。
 才能の片鱗も持たない人間には、奇異にも恐怖にも思える力を持って。
 彼は歪みを持った。
 酸素を溜め、望みのままに燃え上がらせる、畏怖と恐怖の、原初の歪みを持った。
 けれどヒューズはきっと彼についていくのだろう。
 ヒューズの眼は灼かれてしまった。
 1番最初に、1番強い焔でもって。
 白熱の蜥蜴に。













 誰も知らない、2人の運命の一夜が明けてゆく。





10000ヒットのお祝いにとリクエストを聞いてくださいました。ありがとうございます。10万とか100万とかじゃないのにねぇ……(^^;)
本来ならこちらが何か描かないといけませんものを……この場をかりて、他の方もうっかりキリのいい数を踏んだら申し出て下さい。絵でよければリクエストを受けますんで……左の数字だけでもいいですし、合計でも可。

さて、今回のおねだりしたのは士官学校時代の二人。ロイとヒューズで、なおかつ錬成陣の話という難題をふっかけてしまいました。そういうお題で私やtalktalkさんも現在描いておりますが、結構な難産でして…本になるのは8月になるのではないかと…(予定どうりですと……) 2004.6.16 玲

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