分裂なんてしてみました。
「よっ、大佐! いきなり呼び出して何のよ……」
旅先から至急にと呼び出され、何があったのかといぶかしみつつ、いつものように無遠慮にドアを開けた途端、エドワードは固まった。
数瞬ののち、錆びついた機械鎧のようにぎこちなく後ろを向き、迂闊にも踏み込んでしまった部屋から出ていこうとする。
…………見なかった。何も見なかったし、聞きもしなかった。この部屋のドアを叩いてから10秒ほどの記憶は、どこか遠い空へと消えた。あの白い雲の向こうへ……いやぁ、今日はいい天気だ。散歩日和とはこのことダネ!
無理矢理、そう思い込む。
だが、何もかも見なかった、知らなかったことにするには、この行動は遅すぎたらしい。幸運にもまだ部屋の中を見ていない弟に帰ろうと促したとき、気色の悪いものに気が付いてしまった。
生身の右足に理解したくない、何かが張り付いている。そして機械鎧の左足にもずしりとした重み。
その何かはこう言った。
「せっかく来たというのにどこに行こうというのだね、鋼の」
「それとも久々の逢瀬に照れているのかね」
「今更照れることなどないというのに、可愛いらしいことだ」
「鋼のが私のことを変わらず想ってくれているという証だね」
「嬉しいよ、鋼の。君の気持ちは私に伝わっているよ、この上なくね」
「さあ、そんなところに立っていないでソファにかけたまえ。今、お茶の用意をさせよう」
「私が用意したいところだが、残念ながらこの身長では君のためのお茶を煎れることも儘ならなくてね」
いつもより少し高い声で、口々にエドワードに声をかける。なんでそんなに自信ありげなの?と聞きたくなる口調まで、そのまんまだ。
ここまで来てそれらはエドワードが震えていることに気が付いた。
「「「「「「「おや、どうしたんだね、鋼の?」」」」」」」
「あんた、一体何したーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
「「「「「「「ん? いやちょっとね、分裂なんてしてみたのだよ」」」」」」」
ロイ・マスタング大佐の執務室に、同席していた副官の、世の儘ならなさを嘆く溜息が響いた。
エドワードの足元には大佐。
ただし小さく、かつ7つに分裂していた。
大佐が7倍。……悪夢も7倍。
目にしてしまった出来事に、アルフォンスの首が『海賊危○一発!!』するまであと10秒。
ぬいぐるみのように抱き心地のいいサイズ―――いやこの場合、一部のご婦人方を除いて抱き心地がいいなんて、これっぽっちも思わないだろうが―――で7人。
エドワーズのときも思ったが、なんて厄介な………いや、大佐が7人なんて余計に厄介で面倒だ。あまり理性のないエドワーズよりも、理性も知性もそのままな大佐7人のほうが、より困った事態に思えるのは何故だろう。
そしてこう言ってはなんだが、エドワーズよりも可愛げがない。欠片もない。これで多少なりとも可愛ければまだ救いようがあるのに、まったく可愛くない。そりゃもう、部下も目を逸らし気味になるほどに。もうすぐ三十路の男に可愛げを求めるほうが無理な話だろうか。
それぞれがいつもの気障な調子で喋るので、なんというか、こう………うざったい?(聞くな)
「別に私とて好きで分裂したわけではないのだよ?」
「その通り。まったくの偶然なのだよ。これも錬金術が起こす奇跡のひとつかもしれないね」
「先日ここの管轄の国家錬金術師が、新しい錬成を発見したからそれで査定をしてくれと言ってきてね」
「本来なら査定はセントラルでするものなのだが、相手も結構な高齢でね。」
「ここからセントラルまでの長距離移動には向いていない。汽車が何かの拍子に急停止したら、自分の心臓もうっかり急停止しそうなくらいでね」
「かといって錬金術に関してはかなりの知識を持っている方で、軍も手放すには正直惜しい」
「それで私が直接出向いて査定を行うことになったのだよ」
なにせ東方司令部(たぶん)最高司令官マスタング大佐だからな……と腰に両手を当て踏ん張って威張る姿は、ミニマムないい大人であるだけに、本人が意図するところから大幅にかけ離れて滑稽だ。
はっきり言って現在の状況は鬱陶しかった。
何故だろう。
エドワードが20分割したときはまともな言葉は喋らなかったらしいのに、7分割大佐は真っ当に喋っている。1人でも鬱陶しい口調が×7。だからといって感じる鬱陶しさは、掛けるではなく7乗。これも大佐が言うところの錬金術の奇跡の成せる技だろうか。
「ふむ……こうして見ると」
「……なんだよ?」
揃って間接の限界まで首を曲げて、大きな……いや、普通サイズの人間たちを見上げる7人の大佐たちはこう言った。
「いや、こうして見上げてもやはり君は他と比べて小さいと……」
「誰が下から見上げてるのも苦にならないほどのチビに優しいドチビかーーーーーーーっ!!!」
念願叶って(?)大佐を見下ろしているというのに、非常にムカツク。
両手を思い切り打ち合わせたエドワードは、滲み出る不機嫌さに感づいていた聡い弟に後ろから羽交い絞めされた。
「そんなわけで……困ってるのよ、エドワードくん」
そのセリフはホークアイ中尉。隠れたふたつ名は『東方司令部最強の女』。
逃げないでくれと、溜息まじりの、懇願を装った半ば命令に、エドワードは逆らう術を持たなかった。
執務室の机に2人、ソファセットに5人に別れ、大佐たちはひたすら書類にサインしていた。執務机の2人は椅子に座っても背が足らず、腰の下にクッションをいくつも敷いてサインしている。さすがに苦虫を噛み潰したような表情をしているのが、なにやらおかしい。
さて、7人いれば処理の進み具合も7倍かと思えば、残念ながらそうではない。
いくら真面目に当人たちが書類を読もうと、サインをするのは彼らである。今の彼らの手はそこらの子供よりも小さい。つまり常にペンが持ちにくい。よって処理が遅れる。
飽くまでもそれは彼らが真面目に処理をしようとしてでのことである。
真面目にしないとどうなるか。
「お席についてください、大佐」
当然仕事は遅れる。こうして副官に銃を突きつけられるほど。
副官が席を立った隙に、見張りも兼ねてお茶を飲んでいるエドワードの所に行こうと、席から離れた大佐2号の鼻先を銃弾が掠めた。
冷や汗かきつつ恐る恐る振り返れば、そこには硝煙の上る銃を手にした副官が。
「そのへんにしとけよ、大佐弐号。あんた、この書類全部終わらせないと元に戻る方法探す暇がないんだろうが」
ったく、手伝ってる身にもなれよなと、呆れたようにお茶を啜るエドワード。
彼は今、大佐たちを見張りつつお茶を飲み、なおかつ書類処理に手を貸していた。国家錬金術師は少佐相当。尉官クラスで処理できない書類も、余程の機密でない限りは処理に手を貸せるらしい。
軍属ではない彼の弟は兄に付き合い、静かに隣で文献を読み漁っている。
ちなみに大佐たちの呼び方は先ほど決められた。
『7人のロイ・マスタング大佐たち』。
「さて、非常に呼びにくいのでここで略称を募集します」
「はいはいはーーーい!」
お行儀よく(?)手を上げたエドワードを、ホークアイが教師よろしくピシリと指した。
「はい、エドワードくん」
「ザ・無能ブラザーズ!!」
「「「「「「「は……鋼の……」」」」」」」
「大佐がこれ以上へこむと困りますから却下。はい、アルフォンスくん」
愕然と呟かれた上司の嘆きはキレーに無視された。
「えーと、兄さんのときがエドワーズだから……マスタングズ?」
「呼びにくくないかしら、それ。はい次、ハボック少尉」
「あー……豆大佐?」
「エドワードくんが横で嫌そうな顔をしているので却下。次、ブレダ少尉」
「7人の大佐…じゃダメなんすか?」
「呼びにくいから略称にするんじゃないの。次、ファルマン准尉」
「レンキンジュツシーズ?」
「ズ、から離れてもいいのよ。それにしても舌を噛みそうね。次、フュリー曹長」
「え? えええええーと7人だから……7ちゃん?」
「はい、決定」
「「「「「「「ええぇぇぇええぇぇぇぇええええっ!!!」」」」」」」
「では『7人のロイ・マスタング大佐たち』、略して『7ちゃん』に決定です」
当人たちの盛大なブーイングにもかかわらず、副官の一存で『7ちゃん』に決定。
「個別に呼ぶときは壱号、弐号、参号、以下順にということで」
よろしいですね?との問いかけに、大佐……いや、7ちゃん以外が皆頷いた。相変わらずビミョーなネーミングセンスではあったが、みんな黙っていた。面白いから。
「ブラックハヤテ号とどこがどう違うというのだね……」
屈辱たっぷりな呟きが聞こえたが、みんな黙っていた。面白いから。
さらに屈辱なことにたまたま中尉に連れてこられていた、まだ成犬とまでいかないまでも、そこそこ育ったブラックハヤテ号に踏み倒され、さらなる屈辱を味合わされた。
さて、その7ちゃん(略称に反して実態は非常に可愛くない)、只今元に戻る方法を模索中。
彼らが7分割した原因は、前出の老錬金術師の失敗錬金術によるものである。
しかし失敗錬金術なだけに偶然の産物であり、どこがどうしてこうなったのか皆目検討がつかない。
ちなみに失敗錬金術の原因である老錬金術師は、長距離移動の代わりに自分の錬成結果を見て心臓を止めかけ、現在病院にて静養中。緊急事態なだけに彼の研究手帳や他の記録を見ることはできるが、あくまでも自力で復活を遂げなければならない。
よって唯一の経験者とも言えるエドワードの協力を、権力をかさに中尉の懇願(脅迫ともいう)と共に要請したのだが、本日期限の仕事を終わらせるまで研究に手を出すことは許されなかった。有能な副官は上司の「元に戻らなければ仕事はできない」という主張にも騙されなかった。現に今、彼らは遅いペースなりになんとか仕事をしている。
そんなわけで7ちゃんは真面目に仕事をこなしている……はずなのだが、体に合わせて脳が小さくなったせいか、それとも習い性で飽きてきたのか、気付いた時には………
「あっ、四号がいないっ!」
……遅かった。
1人脱走成功。
さすがと言うべきか、腐っても大佐と言うべきか、見事逃げおおせた四号の姿を求め、エドワード、アルフォンス、そして中尉の視線が逃走経路であろう窓を見やったその隙に。
当然の結果というべきか、ほかの7ちゃん(今や6ちゃんと呼ぶべきか)が逃げた。
盛大に罵声を上げて部屋を飛び出すエドワード。
それになんとなく乗り遅れちゃったアルフォンスは、本日2度目の恐ろしいものを目の当たりにする。
「……いい覚悟と度胸だけれど、掴まったあともそうしていられるのかしら、あの無能」
日頃(自分たち兄弟だけには)優しい中尉が呟いた、不気味なセリフと怖い微笑みに、アルフォンスの『海賊○機一発』第2打発動。
「お〜い、大将〜!」
「あ、ハボック少尉! 大佐、どっかで見なかったか!?」
司令部をばたばたと走り抜け、7ちゃんたちを探すエドワードを呼び止めたのは、7ちゃんたちの部下のハボック少尉。
本来ならば彼も探さなければならないのだが、彼が捕獲したのは7ちゃんではなくエドワードだった。
「ちょっ……、少尉! なんで大佐じゃなくて俺を捕まえるんだよ!?」
エドワードをがしりと肩の上に担ぎ上げ、訳がわからないエドワードが多少暴れたところで悔しいことに少尉はびくともしない。トレードマークの銜え煙草をぴこりと揺らして、自分がしていることながら不思議そうにこう言った。
「いや、それがさぁ。中尉が大佐はどうでもいいから取りあえず大将を捕まえてこいって言っててさ」
「はあ? なんで俺!?」
「俺に聞くなよ……わかんねーし」
中尉の指示していることだからたぶん間違いはないのだろうと、大人しくしたエドワードに上司との扱いとはえらく違うと、ハボックが苦笑するうちに逃走した大佐の執務室にたどり着く。
ノック2つで入った室内には当然ながら7ちゃんの姿はなく、中尉とアルフォンス、そして何故か部屋の中央に置かれた椅子一脚。
「ご苦労様、少尉。この椅子に座らせてあげてちょうだい」
「イエス、マム」
ぴっ、と椅子を指差す中尉の目は表情に反して笑っていない。
椅子の上に下ろされたエドワードの心中を、嫌な予感がこみ上げる。
「じゃあ、アルフォンスくん。さっきのお願い、聞いてくれるわね?」
お願いという形の脅迫に、アルフォンスは鈍色の体色を青くして頷いた。
「おい、アル? お願いって……」
「ごめん、兄さんっ!」
尋常でない弟の様子に声をかけたエドワードは、次の瞬間、弟の手によって錬成された縄で椅子ごと縛りつけられた。
驚愕と怒りに上げようとした叫びは、弟の大きな手によって遮られる。むがむがと暴れるが、錬金術を使おうにも両手を合わせられないように縛られているため、手も足も、悪口雑言ならいくらでも出るはずの口も出ない。
どういうことだと、ことを指図した中尉を睨みつけるエドワードを余所に、中尉はどこからともなくチャキっと拡声器を取り出した。
迷うことなく窓を開け、最大音量で声明発表。
『えー、マイクテス、マイクテス。勤務中の方々には誠にご迷惑をおかけしております。逃走中のマスタング大佐(×7)に申し上げます。エドワードくんを捕獲しました。これから50数えるうちに出頭しない場合、ハボック少尉がエドワードくんを手篭めにします。では、いーーーーーーち。にーーーーーーい。さーーーーーー……』
途中、身の危険を盛大に感じたハボックから抗議の声があがったが、いつのまにやら背後に控えていたブレダ少尉の手によって阻止された。
『……ーーーーごぉ、じゅーーーーーーーーくーーーー……』
さりげにタイムリミットを縮める中尉。さすがは東方司令部最強の女。そしてあの大佐の副官。やることがえげつない。
そうこうしているうちに廊下からばたばたと、複数の足音が聞こえてきた。
気付かぬふりで数を数え続ける中尉の合図に、心得たように頷く捕獲対象の部下たち。
バターーーーーーーーン!!!
「無事か、鋼のぉっ!!」
「鋼のになんてことをするんだ、中尉!!」
「ああ、泣かなくていいよ、鋼の」
「そう、悪いのはすべて中尉とハボックだ!」
「ハボックなど私が消し炭にしてあげるからね」
「そこになおれ、ハボック!」
いつもの白手、いつものポーズで発火布を構える7ちゃん、内6名。残る1名、七号は勢いをつけすぎて跳ね返ってきたドアによって、元来た廊下に弾き飛ばされた。
ちっちゃなサラマンダーでも威力は十分、指ぱっちんで目当ての悪漢をお手軽に消し炭に。
だが、縛られてはいるがエドワードは泣いてはいないし、もちろん手篭めにされかけているわけでもない。むしろ「アホか、あんた」とでも言いたげな目で彼らを見ている。
罠だと気付いたときはすでに遅い。頭上から投網が降ってくる。
やはり脳が小さくなった影響はあったようだ。
「さ、きりきり働いてもらいますからね」
にっこり笑った副官の手には、7本の縄があった。
その後、7ちゃんはエドワードや部下の協力のもと、無事に1人のロイ・マスタング大佐に戻ることができた。
だが、彼らが元の姿に戻る直前まで、有能な副官の手に7本のリードが握られていたのは、紛れもない事実である。
回を経てるごとに、どんどん大佐がへんなことに
なっているような気がいたします。 2004.3.27ひい