3年もの間、ブリックスを臨む極寒の地で勤めあげた一兵卒。

ハーネル軍曹にとって、彼はただ、それだけの男だったはずだった。

黒い髪と瞳で、軍人にしては小柄だったが、

とても真面目な男だったのだ。

与えられた任務は、完璧にこなしていた。

任務に忠実で、融通の利かない…

顔の左半分を覆う眼帯は、戦争で失くした左目のためと聞いた。

無口で、笑った顔など見た事もなかったんだが。

なのに、何故こうも気にかかるのか、わからなかった。


東部の町リオールと中央での事件以来、姿の見せない男は、

ある日突然退役したとかで、彼の荷物だけ、実家のある中央に送るようにと、人事部から指示があったのだ。

休暇をとったまま、姿を消したので、さよならも言えなかったのだ。

荷物は事務的に、ただ送ればよかっただけなのだが、

彼がどうしているのか、ちゃんと暮らしているのかと、気になってしまったのだからしかたがない。

送るはずの荷物を持って、軍曹は中央に出た。

送り先にと指定されたメモ1つを手に。

高くそびえる石作りの建物。

沢山の人で賑わう大都会。

この街に彼がいる。

こんな大きな街でちゃんとやっているのだろうか?

心配でならない。

いきなり迷子になりそうでアセリはしたが、こういう場合都会の方が道路も区画も整理されていて、実は探しやすいのだと気づく。

やっと探し当てたその場所は、中央の超高級住宅街で…

目眩がした。

メモに示された番地の場所には、何故か将軍の官邸があったのだ。

「!」

驚き、そして途方に暮れてしまった。

まさか将軍宅では、伍長とは無関係だろう。

メモをよこした人事部に聞き直すにしても…今日はもう遅い。明日、事務所が開く時間になってからでないと、確認もとれない。

しかたがないので、まずは腹ごしらえをする事にしたのだ。

食べ損ねた昼食と、夕食をかねた食料の調達にと、安い食堂を探す。

そうしたら、見た事のある軍服の男の姿が目に入ってしまったのだ。

金髪で青い瞳の少尉だ。

人目をひく容貌。優しい笑顔のその人が。

「少尉?」

見知った顔に、つい声をかけてしまってから軍曹は後悔した。

階級の上の軍人に自分から声を掛けてしまったのだ。

怒鳴られても文句は言えなかった。

殴られたり、減棒処分も日常だった。

「おっ、えーと軍曹か、どっかで会ったっけ?」

肩章から階級だけ把握した男の、のんびりとした返事が戻ってきた。

『よかった。怒ってない。』

と、言うよりそんな事を気にするハボックではなかったのだが、軍曹はそんなことは知らない。

よく見ると肩章は中尉になっていた。

あれから昇進したらしい。

とにかく、怒られなかった事でほっとしたのだった。

「あの…申し訳ありません、中尉殿。ハーネル軍曹であります。北方司令部で…1度…」

「北……あっっ…」

どうやら、覚えていたようだった。

あの時ハボックは、吹雪の中ロイに会いに北の山へ来たのだった。

「出張か?」

「あ…ついでに荷物さ届けに……」

「えっ?」

「退役するとかで、伍長の荷物さ届けに」

一瞬血のけがひいた。

『ど、どーしよう?』

ハボックの動揺など気づかない。

「あの…伍長の荷物を……わざわざ?送ればいいものを…」

簡単にそう言った。

「でも、あの住所間違ってたみたいで…」

「えっ?」

住所は、ロイの現在の官邸になっている。

現実にあの場所に行って、屋敷を目の当たりにしたのだとしたら、その反応はやむを得ない。

間違いではないが、軍曹が間違いだと思うのも無理はなかった。

何と説明したらいいものか、ハボックは迷ってしまった。

「荷物が届かなくて、わざわざ来たのか?何なら預かるけど?」

郵便屋を締め上げないとマズイかも…とも考えていた。

「いえ、あのぅ……彼がどうしているか…知ってたら…教えてもらぇねぇかと思ってるんですが………?」

これはもう、道ばたでする話じゃなくなってる。

ハボックは、そう判断した。

「どっか入ろう」

きょろきょろと、当たりを見まわして手短な居酒屋に誘う。

席に案内されるなり、

ビールと、適当に腹に溜まる食事とつまみを注文し、

「これでいいか?」

と、軍曹に確認してくれる。

下士官にも気をつかってくれている、いい人なんだと感動しつつも、ロイの事が気にかかっていた。

「気になって……」

「軍人をやめて、どうしているか気になったンか?」

軍曹は、ハボックがため息をついた事にも気づかなかった。

北で、ロイが友人を作ったとは思えなかった。

友人なら知っているはずだ。

ロイが本当は何者なのか。

ただの伍長なんかじゃない事も……

「おまちどうさまでしたっ!」

ドンドンっと

冷えてうまそうなビールが並べられる。

運ばれたそれを、軍曹にすすめる。

よほど喉が渇いていたのか、進められるまま一気に半分ほど飲み干して言ったのだ。

「軍人に向いているとは思えねぇけど、不器用な男だもんで…」

「……そうだ、な…向いてないか」

軍人以外のロイは、想像がつかない。

以前ならともかく、今は特に。

自分の事でもないのに、ハボックはドキドキしてしまっていた。

そして、

やっぱそーだよなぁ、何て納得してしまう。

向いていないはずの彼が、将軍閣下だと言ったら、驚くよりも信じてくれないだろうと思った。

『本当に、どうしてくれよう?

アンタって人は…恨みますよぉ〜〜』

「どんどん食えよ。この店、値段のわりに結構うまいんだ」

軍曹にばかり食べさせて、ハボックは最初に一口だけビールを含んだだけだった。

「中尉殿は、彼と知り合いなんですよね。はるばる北方まで訪ねて来られたんですから…」

吹雪の中、ロイを訪ねてブレダと北方へ行った事を、この男は覚えていたのだ。

「彼は何も話さなかった?」

「ええ、何も」

だとしたら、ハボックは何か話すわけにはいかなかった。

うっかり口を滑らせて、ロイの怒りをかうわけにはいかないのだ。

それに、本当に信じてはもらえないだろうと思うのだ。

絶対に。

「彼、元気でやってますか?少しは笑えてますか?」

「ああ、大丈夫だ。ちゃんと食べているし、寝ている。少しは肉もついたかな?」

まだ、元通りとは言わないけれど…

心の中でつけ加える。

「そっか…よかったぁ……」

本当に、安心してホッとした顔をした。

人のいい男のようだと、ハボックにもわかった。

「心配はいらない。ここには彼の友人も多いし、俺も俺の友達も、皆あの人が好きだよ」

あの人に、悲しい顔はさせない。

させられない。

そう、思っているよ。

「彼、中央の生まれなんですか?じゃ実家がここなんですよね」

「いや…出身は東部のはずだ。俺が初めてあったのも東部だったしな……」

東方の副司令官として赴任してきたロイの、護衛官として抜擢されたのが最初だった。

士官学校を出たばかりの、戦争を知らない世代の自分にたいし、彼は、戦場帰りの英雄で、遙か雲の上の人だった。

けれど、今までに出会った誰よりもいい上司だったと思う。

うっかり、この人以外の下で働きたくないとまで思ってしまったほどに。

「東方司令部ですか、激戦区ですよね。あの負傷はそこで?」

左半分を覆う傷の事を言っているのだ。

「…いや、あれはその…中央でだけど……」

「中央でもいっしょだったんですか?」

凄い偶然ですねぇ〜と感心している。

あいにく側にはいなかった。

居れば、あんな思いはしない、させない。

「彼はやっぱ、貴方の部下だった事があるんですね」

確認というより、それ以外に接点はなさそうだったので、軍曹はそう言ってみたのだ。

「部下というか…同じ部隊にいた……楽しかったよ。夢中で勤めて…。できることならずっと一緒に居たかった」

ハボックにしては、歯切れの悪い回答だった。

あの人の心の傷は深すぎて、あの時は自分達ではとうてい埋めるられなかったのだ。

今は、側に居られるからいいのだけれど。

「何にしてもよかっただ。中尉のような人が一緒なら大丈夫だ。私なんかが心配しなくても……」

「いや、味方は多いほどいい。」

ハボックは断言した。

「えっ?」

ハボックは困っていたのだ。

実際、会えばわかるだろう。でも自分から言ってしまっていいものか迷ったのだ。

よけいな事を言っちゃって、怒られるのも業腹だ。

「ちょこっと待っていてくれるか?定時連絡の時間なんだ」

そう軍曹に偽って、店の奥で司令部へ電話を入れた。



「ハボック中尉です。マスタング准将閣下をお願いします。コードは…」

上司の判断を仰ぐためだ。どう考えてもコレは自分の手に余る。

アノヒトの、こういう時の判断は速い。

自分が行くまで引き留めておけと言われた。

ほどなくして、ロイが居酒屋に姿を現した。

私服である。

そこには軍人も結構いたのだが、その姿のせいで、彼に気づく者はいなかった。

「ハーネル軍曹殿」

ロイが軽く敬礼をする。

「わざわざ、すみません」

「あえてうれしいよ。伍長。左目、治ったんだね?その方が似合うよ」

今のロイは、左目に義眼を入れてあった。遠目には元どうりの顔になっている。

医療系の錬金術師達が腕をふるったのだ。

新時代の軍において、前大総統とおそろいの眼帯では、何かと都合が悪いと説得し、手術を受けさせたのだった。

元通りの顔をしたロイの表情は明るい。

女性ばかりか、男までタラした腕というか、顔の持ち主だ。

北の大地で出会ったこの男も、本当にうれしそうにそうだった。

「中尉が呼んでくれたんですね。ありがとうございます」

気のいい軍曹はハボックに礼を言う。

言われた方は、もの凄ぉくドキドキしていた。

『こんなに善人を騙くらかしていーんですかい?

良心の呵責にさいなまれそうです。』

軍曹はと言えば、

笑顔のロイには驚きつつも、笑った顔に二度惚れしている最中といったカンジで…

ここで彼が幸せな事は十分理解したので満足そうだった。

来て、よかったと思っているようだ。

その後は酒盛りになってしまって…軍曹の意識は遠のいていった。

多くは覚えていないようだった。

次々と運ばれ来るビールを、浴びるほど飲んで……

楽しい一時は過ぎていく…………

翌朝、良い匂いに目が覚めると、

軍曹は自分が、えらく広い客間のベッドに寝ている事に驚いた。

いつもの安宿でなければ、自分の部屋でもない。

見たこともない豪華な寝台なのだ。

ここが何処だったのか真剣に思い起こそうとした。

昨夜、一緒だったのはあの金髪の中尉で、

なのに何でこんな……

現在いる屋敷と、中尉と自分…接点なんて何処にもない。

いくら考えてもわからなかった。

昨夜は眠ってしまった自分を、たぶん伍長が運んでくれたのだろう、そう思ったのだが……

実際、担いで運んだのはハボックなのだけれど。

それにしたって、ここは何処なんだ?

高い天井、ふかふかの絨毯。

広い官邸内を、匂いにつられて部屋に入っていくと、

リビングキッチンでは、金色の長い髪の女性が、朝食の支度をしていた。

「あら、おはようございます。すぐできますから、お待ちくださいね」

この若く美しいひとは、自分の事を知っているようだ。

「あ、はぁ……あの…ここは……」

「あら、すみません。何も言ってませんでした?」

「彼女はリザです。軍曹」

そう言うロイは部屋の反対側で、せっせとテーブルに人数分の皿を並べていた。

「よく眠れたかい?」

昨夜は、ちゃっかり泊まりこんだハボックが聞いた。


「この人が、大変お世話になりました。ホテルの場所を伺っておりませんでしたので、勝手ながらこちらへお連れしてしまったそうで、」

とリザ。

「奥さんか?」

『とんでもないっ!』

ロイとハボックとリザの声で、

それは綺麗にハモっていた。

ロイの家なのだが、説明するとややこしくなる。

昨夜はハボックと2人軍曹を運んで、朝いちでホークアイに来てもらったのだ。

「恩師のお嬢様です。私は不肖の弟子で……」

とロイは言った。

とりあえず恩師の家で、居候。という設定で。

「無理がある」

と、言ったリザをなだめての事だった。

あの住所の邸宅だと気づいて、軍曹は二度驚いた。

聞けばリザは、将軍の孫娘だという…

その将軍は、現在大総統代理だなんて事は、このさい黙っておく。

「父は学者でしたの。彼はただ1人の弟子だったので……」

にっこりと笑って言った。

「それで、この住所だったんですね」

間違ったかと……

「すみません。お世話かけます…」

本当に、

お世話をかけたのはどっちだったのか…

何もかもが嘘で、軍曹には申し訳なかった。

何度本当の事を言おうと、リザもハボックも思ったのだか、

『絶対信じてくれない!』

と、ロイまでそう断言するのだ。

昼過ぎ、今日中に列車に乗るという軍曹を

ロイはハボックらと共に、駅まで送っていった。

お土産にと「錬成饅頭」と「錬成餅」の大きな箱を手渡す。

わざわざ来てくれた礼を何度も言って。

そして、列車が動き出す間際に

「お前、俺の下にこないか?」

ハボックは軍曹が気に入ったのか勧誘してみた。

中央は暖かくていーぞぉ。と言いそえて。

「えっ…ええっーっ!!」

いきなりそんな事言われたら、普通驚く。

社交辞令だろうとは思いつつも、誘ってくれた事はうれしかったのだが。

「あら、それはいいわね」

ホークアイ大尉も賛成のようだ。

北へ戻った軍曹が、中央への移動命令を受け取る日も近いだろう。

その時、軍曹の善良な心臓が止まってしまわない事を、祈るばかりなのだが。








軍曹はといえば、帰りの列車の中で今回の旅を満足げに振り返っていた。

どうしているかと、気になっていたが…あれなら軍人を止めても食べていくには困らない。あのお嬢様がついていれば大丈夫だろう、軍曹は安心していた。

中央に来て本当によかった。

そう思っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     おわり








ロイのその後をあれこれ考えているうちに出てきちゃったお話の1つ。アニメ版鋼のその後のお話でした。誰の話なんだか……兎に角、さぞかし周りに迷惑をかけただろうって事で…誰ってロイが……ですけど…

      2006.07.16  発行 オフライン再録


北からの帰還
     
映画版ロイのその後のお話