何日か過ぎたある日。
不審人物よろしくうろついていたのは、新任のあの青年だった。
何をしているのかと思うと、ポケットから何かを出してじっと確認するように見つめている。

「何している?」
「え?」
「いや……ここはドコかと…」

見ると、手にしていたのは構内の1枚の地図で……

「なんだ、迷子か?」

そう言ってやったら、いたく傷ついた顔をした。

「同じような建物がずらずら建ってるんだよ?どーやって見分けろと言うんだ」
赴任してきて日も浅い。迷ってあたりまえだと思っているらしい。

「部屋に戻るなら反対だぜ?」
「自分の部屋じゃなくて、薬品庫に行きたいんだがね」
「明日の準備か?」

爆弾の作り方というか、火薬の調合の授業の予定だった。
これも化学というべきなのか。

「ああ」

地図を指さし、薬品庫までの道を教えてやる。
部屋に戻ろうとして背を向けたのだが、がしっと腕を掴んで引き戻された。

「いっしょに来てくれ」
「ええっ!」

硝酸アンモニウムや木粉、アルミニウム粉など、大量の荷物を袋単位で持たされ、準備室まで何度も運ばされた。

気がつくと時刻は消灯時間間際だ。
「くっそ〜自習室、閉まっちまったじゃないかッ…」
「勉強するつもりだったのか?」
「知らなかったかもしれないが、あんたと違っておれは学生なんだぞー」

ここを何処だと思ってるんだ?
一応、意義は申し立ててみる。が、案の定

「宿題でもあったのか?」

などと言うのだ。

「宿題がなくても勉強はするぞ?だいたいアンタに会わなきゃ行ってたんだよ……あーーっもう、あの先生キツいんだよなぁ…」
「もしかして、サコー教官の『戦略論演習』?」

ケリーは黙って頷いた。
元国軍の名参謀ライル・サコーの名は伊達じゃない。
一線を退いて後輩の指導にあたっているのだが、鬼の名は健在だ。平気で1クラス全員を落第にするくらいはやってのける。
同じ講義の奴といっしょに、片づけようと思っていたのだった。誰かに反論してもらわない事には、自分の頭だけでは怪しいことこの上ない。

「そりゃすまない。何なら私の部屋でやるといい」

意外にも、アレンが申し出てくれた。

「え?」
「自室で電気、つけるわけにはいかないだろう?この時間だし」

とんでもない時間、だという自覚はあるみたいだった。
消灯時間後に灯りがついてる部屋には舎監が怒鳴り込んできて、減点と罰則が科せられる。とはいえ、宿題がそのままでも単位がもらえないので、窓から明かりがもれないように目張りしたり布団の中にランプを持ち込んだりと涙ぐましい努力をするのだ。
堂々と灯りをつけて勉強できるのなら、それにこした事はない。
点呼は同室のミュラーに頼んでおく事にして、ありがたく彼の部屋を借りる事にした。
他の教科ではあるが、専属教師もいる事だし…



昨夜というかほとんど朝、アレンの部屋から自室へと戻ってきたのだ。まだ寝ていると思ったミュラーは物音に反応したのか、

「…お帰り〜プレゼンの前に朝帰りとは凄いねぇ〜」
寝ぼけながらも、そんな事を言ってよこしたのだ。
当てこすりの1つや2つ何だというんだ。
仮にもケリーの同室の相方は寮長なのだ。就寝前の点呼を誤魔化し、黙認してくれるだけマシというものだった。

「はッ?勉強してたに決まってるだろ!」 
「勉強って・・・何処で?」

もっと早く戻る予定ではあったのだ。
しかしながら、
さんざん戦略の穴を指摘され、訂正する事数十回。もしかしてサコー教官よりキツいのでは思わなかったわけじゃない。
おかげで、寝る暇も惜しんでやった演習は、初めてのA+だった。
俺も驚いたけど、元参謀はもっと驚いていた。

アレンのおかげなのだ。
手伝ってもらっておいて何だが、本当に『戦略論』なんて、化学者の彼に教えてもらってしまったのかと…
だけど本人は、これも確率の問題だと笑っていた。

寝不足で、正直頭がまわっていなかった。

「あの方向音痴に、荷物持ちさせられただけだぞ」

言い訳にしか聞こえないのだが、一応言ってみる。

「荷物と勉強とどう関係があるんだ?」
「今日の実験材料さ、倉庫までつきあわされて、あげくに実験室まで運ばされたんだからな?」
「何の話だ?」
「だから、昨日あのセンセーに出くわして・・・」

何を言い訳しているんだか・・・

「随分仲良くなったんだねぇ」

一晩何をしていたのか、盛大に誤解されていたようだ。
宿題をしていただけなのに………
もーどうでも良くなっていた。

「今度はお前が荷物持ち替わってくれ」
「荷物?」
「兎に角、今は寝かせろーーっ」 

夕食後は早々に部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。




ミュラーだってカーバライン教官と仲がよかったじゃないか、と布団をかぶりながら思っていたが、口には出さなかった。彼が行方不明になってから様子がおかしかったのだ。

元気がなかったのは彼ではなく、彼の友人の方かもしれないが…
同郷のためなのか、ミュラーは少年の面倒をよくみていた。
カーバライン教官が事故にあったものか、何か事件に巻き込まれたものなのかは不明のままだというのに、憲兵は調査を打ち切ったという。
軍は、このまま放置しておくつもりなのだろうか。



「また、出たんだってよ」
「えっ、またか?」

行方不明の教官を見たというのだ。
いや、事故で死んだ生徒だったという噂もある。
どっちでも大差はないが、どうしたものか目撃証言は日々増えている。


「幽霊だと?馬鹿らしい」
「信じてないの?」
「見た事のないものは信じない事にしている」

仮にも化学者だぞ?何ていいながら、霊感はナイので、頑張ったところで見れたりはしないとも言いきった。
そういう仕草も含めて、若く見えるというか、かわいいと思ったのだ。
先生らしくない所も含めて、彼を好ましく思わせた。

あれからアレンには、時々実験の準備等を手伝わされている。今度こそ断ろうとは思うのだけど、見かけによらず押しが強いと言うか、断られる事など思ってもみないらしくこき使われている。

労働の後のお茶は、彼なりの礼らしかったが、あいかわらずビーカーでだ。
客用のマグカップを買おうとは、思いつかないようなのだ。
茶菓子のほうは、恒に用意されていたので良しとすべきなのだろう。
彼がそれを自分で買いに行ったかどうかは、疑問は残るのだけれど。
アレンは女子士官候補生達にも人気があるのだ。
差し入れの数も日増しに増えているようなので、それなのかもしれない。
この男の何処がいいのかは理解に苦しむが、女性には酷く優しいのだという。
ご相伴に預かっている身なので、あまり文句は言えない。



「それより誰の幽霊だというんだ?化けて出てきそうな言われのある人物なのか?」

この夜に未練があるから出てくるんだろう、などと言う。
完全に面白がっているとしか思えなかった。

「いわれって、何だ?」

そりやぁ、学校という所には怪談はつきものだ。その手の話の7つくらいは何処にでもある。
もちろん、この士官学校にも。

「その幽霊は特定の場所に出るのか?それとも誰か特定の人物の前にだけ現れるのか?」

などと聞く。

「それって、違いがあるのか?」
「幽霊の未練が場所か人か、という事だけだよ。ところかまわず、相手を選ばず
というのは幽霊じゃないバケモノというんだ」

幽霊学の講義を聴くとは思わなかったので、少々驚いた。
アレンが雑学なのか、はたまた本当に科学的に解明しようというのかし理解しかねたが。

「お化けや幽霊も、科学的に証明できるのか?」
「できる……」
「どーやって?」
「魂と次元の問題だと思うが…」

時々瞳が宙を泳ぐのでわかるのだが、頭の中では計算式がグルグルしているらしい。


「場所は決まっているんだ」
「何が?」
「幽霊の出る所さ」

ほう、何処だね?

「出るのは実験室の側だ。その幽霊は、物理学と数学の教官だったんだ」
一応聞き知った噂をおしえてやる。
「だった?」
「現在は、行方不明なんだ。死んだといううわさもある…」
「死んだのなら、学校側から説明があるだろう?」
「それが、何もなくてね。俺たちは部外者扱いなんだよ、どーせ」
「じゃあ、何故死んだと?」
「噂というか、知ってる奴から奴へと伝わって…」

ふううん凄いねぇ、と関心している。

「幽霊は、士官候補生ではないんだね…?」
「いや、それは別件。生徒も1人、いや2人か…亡くなっているんだ」
「この学校の幽霊は団体さんなのか?幽霊のツアー客は遠慮したいのだが…」

なんて神妙な顔をして言っている。
何処の学校でも7人くらいは出る。と言ったら笑い出した。

「死因は事故、それとも病気かね?幽霊になるくらいなら死ぬ予定はなかったのだろう?」

それとも、死んだ事に気がつかないでさまよっているんだろうか?等と言う。

「事故らしいけど、自殺という説もあったっけな」
シャワー・ルームで、そいつと同じ班だったクルドが言っていたのを、今思い出した。
「何でまた自殺なんて……」
 成績が悪くて、軍のお偉いさんの親に怒られたとか?なのかなどとアレン言ったが、それは違う。
「恋人が死んだから」
「はぁ?」
「恋人が死んだら、自分も死ななきゃいけないのか?」

思い切りあきれている。
化学が恋人(恋人イナイ歴○年とか?)だったんだろうか、それとも、自分より大事な物なんてないというタイプなんだろうかと考えてしまった。
何にせよ、彼にとっては理解不能の領域らしいと思うことにした。
誰より何より大切な人が、死んでしまったとしても…1人で生き続けなければいけない人もいるのだと……・
それが出来る強さを持った人間も……また居る事を、ケリーはまだ思いつかなかったのだから。

「その人が……人生のすべてだったのかもしれないじゃないか」
 特に親しかったわけでもないが、後追い自殺のフォローをするはめになる。
「そんなもんかね。」
「一応、事故死だよ。公式には。」
俺は信じてないけど……

学校側の発表は事故死。
両親が来て、そう多くはない荷物を引き取って帰っていった。

「誰も信じてないんだろ。…で、いい女だったのか?」
「興味があるのは女の方か?残念ながら、女じゃないよ。ここは男ばっかじゃないか。」
「士官候補生にも女性はいるだろう?寮は別だけど、授業は合同だし」
「うー、あれは女じゃないっ」
「失礼なやつだな、その分じゃモテないだろ?」

みんな、かわいいのに、何てほざく。
圧倒的に男性の数が多いここでは、女性はよほど頑張らないと認めてはもらえない。
体力で勝負されたら、どう考えても不利だと思う。
だからこそ、彼女たちは必死なのだ。おかげで学科で女性たちに勝つのは、無謀とも言われているくらいだ。
士官学校のカリキュラムは結構ハードだ。
男の子なんぞにかまっている暇が彼女たちにはないのか、フラれっぱなしの男どもにも評判はよろしくないという事だ。

「来週末の合同コンパ、参加するんだろ?」
「あれっ・・・もしかしてセンセーも参加すんの?」
「もちろん!」

寮長達も大変だな。少なくとも4年は一緒にいるんだから、ちょっとは親睦も深めないと、と思ったんだろうなぁ。

「脱線したな。えーとつまり、…男の恋人なのか…?バレたら退学だぞ?」
「バレなきゃいーんです!」
「そりゃあそーだが」

アレン先生の、トコトン女好きな性格は徐々に理解してきたつもりだ。首尾範囲も結構広いらしく、女性士官候補生達の名前と顔はすべてといっていいほど把握していると思う。
この半年、週2日程度の勤務なのに、出会う生徒ばかりか女性職員までもが、アレンに会うと頬を染めている。
 
「シムカの前に4年の先輩が事故で死んでるんだ。その先輩が恋人だったという噂だよ」 
「詳しいな」
こんな事、詳しいうちには入らない。
教室やロッカーでと、噂話は何処でも聞くのだ。
ただし、と何処まで本当なのかはわからないが…

「事故って……しょっちゅう起こる物なのか?」

関心したように、目をまるくしてケリーを見つめている。

「幽霊にあって貧血になるという、のもあったな。血を盗られるなら、幽霊というより吸血鬼なのかなぁ?どう思う」

中に居るとわからないけど、外から来た先生なら別の味方もするかなと聞いてみる。

「吸血鬼って・・・この学校、昔墓地だったりするのか?」
「墓地・・・?ああ、なるほど」
「それにしても、他にもバケモノが居るのか……凄い学校だな」
「噂だよ。俺らの周りに被害にあったやつはいないから、本当かどうかはわからない。もっともお会いしたくはないけれどね。」

何てスリリングな学校だと、アレンはしきりに感心していた。

「演習でのささいな事故はどの学校でも、よくある事だけど・・・実弾だって使うし爆薬だって本物だ。4年にもなれば実戦での演習科目もあるからなぁ」

良くも悪くも、ここは軍事施設なんだと思う。

「演習で死にそうな怪我をするようなら、諦めもつくかもしれない。でも…事故や幽霊に殺されるのは本意じゃないよなぁ………」

たとえ軍隊関係での就職ははじめてだったとしても。アレンもまた、戦争経験はあるようにみえた。
良くも悪くも、イシュヴァールとの戦争は長かった。
最もこの時はまだ、かの壊滅戦に参加できた年齢とまでは思わなかったのだれど。

人が死んでしまうのはいい事じゃない。
たとえそれが、一面識もない上級生や下級生でもだ。
士官候補生が学外演習の度に減少していくのは、好ましいわけではないのだ。

「お前は死ぬなよ?」

冗談にまぎれて言ったそれは、アレンの本音だったんだろうか。

「大丈夫。彼女も彼氏も居ないから」

空気が重いのは嫌だったので、冗談まじりに言った。

「そりゃよかった」

速攻で、肯定してほしくはなかった。断じて!

「よくないっ!」

真っ赤な顔をして怒ると、
あはは、と楽しそうに笑った。
アレンの笑顔は本当に楽しそうで…いっそう彼を若く見せた。






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