第5章 シンの魔術師





学校の敷地はえらく広い。

寮や校舎とは離れた場所には、火薬庫や実験室が点在しているからだ。
その他に、いくつもの演習場もある。

それは、実験や実習で校舎を吹き飛ばさないための配慮なのであるが、周りには古い大木が沢山あるため、ここが森のど真ん中にあるような錯覚さえ起こさせるのだ。

しん、とした少し冷たい空気。

さわさわと木々のこすれ会う音だけが聞こえる。
めったに生徒のこない廃屋、というものもあって幽霊談議のロケーションとしては最高だった。

事実、夏場は学生達の絶好の肝試しスポットだったと聞く。
そのへんの話はルームメイトのチャーリーやダン達が、おもしろおかしく話してくれたので、そこに居なかったはずのエドですら場面を想像できた。

行方不明の学生は結構な数にのぼっているようだったが、学校の体面から公表はされていない。

退学になったといわれる者、やめて家に帰ったとされる者までいれれば両手の指の数では足りない。
居なくなった生徒に軍属関係の身内がいれば、事はもっと大騒ぎになっていたかもしれなかったのだが。偶然なのか、騒ぎにならないようになのか、今までの学生はなるべく足のつかない身内の居ない者ばかりだったのだ。


「こんな所で何をしてるんだ?」


3年生で寮長のミュラーだった。
薄い金色髪は肩ぐらいまであって、後ろで結わえている。
堅い印象を与えてはいるが、眼鏡の奥の水色の瞳は、優しい色をしている。
そういう彼こそ、何をしていたのか、
エドは聞こうとは思わなかったが。
春なら、白い小さな花を沢山つける古木があった。あいにく今は枯葉舞う季節なので、見るべきものは何もない。 
紅葉が綺麗というには、ちょっと遅かったのだ。

「コレ読もうと思って。ここ、静かでよさげ。先輩こそ何を?」

エドが持っていたのは、ロイの書庫から持ち出した『輝きの書』だ。
これをエサに釣りが出来るかもと、思ったのだ。勝手に木の下に座り込み、頁をめくる。

「読めるのか?それ」

ラテン語で書かれたそれを、年下のエドが苦もなく読んでいる様子に唖然としている。

「親父が読んでたからね。家にある本ときたら、こんなのばっかりだったよ」

どんな類の本なのか計りかね、エドの手元を覗き込むと、難解な文字がゾロゾロと並んでいるのが見えた。

「…これって……医学か化学…いや、錬金術か」

感心ではなく、やや呆れてエドを見る。
異国の古語でかかれたそれが何か、一瞬で読み解いたミュラーの方こそ流石と言うべきだったのだが。
エドの周りでそれがわかるのは、ロイやアームストロングといった国家錬金術師達だけだった。

「興味あるのか?その………錬金術」

ミュラーが尋ねる。

「便利だとは思うよ。錬金術で治療が出来たら速いし痛くないし、いいことずくめだ」

一応、向学心に燃える学生らしくエドは答えてみせた。
錬金術は『等価交換』だ、生半可な知識ではリバウンドが恐ろしい。そう簡単で便利ずくめでない事を身をもって知っている。

「士官になるのに錬金術もやるのか?」
「国家錬金術師ってのもカッコいいかなって」

あっさりと言い切ったエドの様子が、軽く映ったのだろう。

「格好がいいだけで・・そんなものに、本気でなりたいのかッ」

眉間に縦皺を作りながら、怒っているみたいだった。
重ねての質問に

「……なりたいね!」

即答した。
瞳を閉じて、エドはゆっくりと答えていた。

「……そうしたら、弟の躯も治してやれる。自分の2本の足で外を歩けるようにしてやれる。研究にだって治療にだって莫大な費用がかかる。普通の生活じゃあ絶対に無理だから!」

嘘をつくのは苦手た。
アルの躯を元どおりにしてやるために、国家錬金術師になったのだ。
おかげで、今は自由に研究が出来る。
軽い気持ちなんかじやない。
全霊をかけた祈りだ。

エドの気持ちが少しは伝わったのだろうか。
ミュラーの顔から険しさが消え、穏やかな表情が戻っていた。

「そっか・・・」

弟のための医療系錬金術なら理解できると、ミュラーは思っていた。

「治してやれるといいね。がんばれ」

でも、無理は禁物だとも言ってくれた。
焦ってもろくな結果にはならないからと。

「ありがとうございます。先輩」

彼はエドに「弟の側に居ろ」などとは言わなかった。
居るだけでは、何の役にもたたない事を知っていたからだ。
普通の学校と違い、士官学校は軍人を何年かやれば学費は無料というシステムだ。
無料で勉強するにはもってこいなのだと、自身もそう思ってここに来たからだった。

長かった戦争で、村には何も残っていなかった。
生きるためには軍人になるのも仕方がないと、そう思って来たのだった。

「…だったら」
「?」
「失踪事件が多発している。1人でうろついて行方不明になるなよ。バケモノに襲われるかもしれないし・・・」

バーンスタイン教官失踪の後、助手だったデイルが何か画策している事をミュラーは知っていたのだが、告発するには深入りしすぎていたのだ。

教官にはいろいろと世話になったのだ。
バーンスタインの名誉のためにも、自身の保守のためにも・・他言は出来なかったのだ。
彼の姿が消えた今も、口を噤んでいたのだった。
だけど、デイルの作る怪物のような混成体の存在は、正直迷惑だった。
それに妙な、吸血鬼と呼ばれる存在も気にかかる。

「失踪事件って・・・?それにバケモノって本当に出るんですか?」
「学校側は隠しているつもりらしい。知らないふりはしておいくれ」
「ふりだけでいいんですか?」

一応、知らなかったふりをして聞いてみる。

「知らない場所や人気のない所には行くんじゃない!目的があるんだろ」

馬鹿な後輩にいらいらしながらも、忠告してくれた。
こんな場所に来るから、ミュラーが関係しているんじゃないかと疑っていたが……少し違ったようだ。
心配して来てくれたのかもしれない。
意外にイイ先輩なんじゃないかと、エドは思った。

「ありがとう…」

とりあえず、礼は言っておくべきかなと思ってそう言った。

「礼なんかいい!」

随分、よけいな事を言った自覚はあったのだ。
ミュラーは後ろを振り向かずにズンズンと歩いていった。






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